岩 崎 無 双 塾
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人間というものは、やはり、聞く耳持たず、なんじゃろうな。われわれ精霊の仲間に、有名なものがおる。ポッパ山の『ンガ ティン デ と マ ソメ』の話は、結局、王の聞く耳持たずで、悲話になった。もちろん、そんな二人を精霊界では心をもって受け入れなければならない。そうでないと、人間界はとんでもない混沌とした世界になるのでな。 若いもんが先生の言うことを聞かん、親の言うことは聞かん、いろいろ言われておる。確かに、わしもそう思うことがある。だがね、結局のところ、若かろうが、年をとっていおうが、人の言うことは聞かんのだよ、人間という動物はな。もしかしら、若者より、段段と考えに柔軟性を失いつつある人たち、40才 代、50才代、60才代…そういう人たちのほうがもっと、聞く耳持たずかも知れんなあ。凝り固まっていたり、シニカルに眺めたり、厭世的になっていたり、偏見を持っていたり、夢を捨てていたり、そんな風に毎日をただ過ごしている大人たちも少なくはないだろう。そういうもんは、はなから聞く耳持たず、「大きなお世話」と反って嫌がられるようじゃなあ。 言過ぎだ、決め付けだという御仁もおられよう。わしも、人間が聞く耳持たずになれば、どれだけ混乱するか、知っているだけに、聞く耳がある人間を心より期待しておる。 しかしながら、聞く耳を持ち、どんな反対意見も、素直に、一度聞いてみて、相手を尊重しながら、こころ静かに自分の意見を述べていく、それはそう簡単ではないだろう。互いになるべく感情的にならず、あげ足をとるような喧嘩をするのではなく、互いに歩み寄る姿勢をもってすれば、平和な関係を続けることができるのではなかろうか。ただ、どちらか片方が、すでに感情的になってしまった場合、相手が、その感情を抑えるべく会話となると、結局、一方だけの聞く耳となり、その会話は健全とはいえなくなるな。互いの聞く耳をどのきっかけにして持つか、考えねばならぬ。 聞く耳をどうやって持つのか。人の相性にもよるだろう。この人には聞く耳を持つけど、この人には聞く耳持たずと、なんの確固たる理由なくそう思うことは大にしてありえる。相性がいい場合は、何でもいいんだよ。どんなこともスムースにいくからね。相性を無視したところで発生する人間関係において、聞く耳をどうやって持っていけばいいのか。しかも自然に。 わしは思う。海のような何もかも飲み込む広い心を持てば、自然に聞く耳も養われるだろう。そして、その広い心を育てるのは小さいころからの異文化との接触ではなかろうか。井の中の蛙という言葉があるように、狭い心は井戸の水で、綺麗かも知れんが閉鎖的となる。聞く耳を持つということは、まず、はじめに相手を思いやることから始まるのじゃよ。 精霊たちは風の便りをいつも聞く。そうじゃ、いつも聞く耳をもっておるのだよ。そうでないと、人間から願いを依頼されたとき、対応できんからなあ。は、は、は、はっ。
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