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1年半の道跡 岩崎無双塾 塾生 北崎 修市
私は、2004年10月20日から2006年4月30日までボランティアの野球指導者としてミャンマーに滞在しておりました。人生においてわずか1年半という短い期間の中で私は数多くの良い思い出や貴重な経験を積むことができました。振り返れば、あっという間に過ぎた1年半でした。 それから2ヶ月後、アジア野球連盟主催のベースボールクリニック参加の為、隣国タイへ選手達と共に行きましたが、ミャンマー選手達は、アジア野球連盟の関係者にとても良い印象を与える事が出来ました。ほとんどの選手が、初の海外経験遠征によって技術や精神面でも成長したと思いました。私も、アジア野球先進国のコーチと野球の理論的な事やアジア地域の野球事情も知ることができ、とても有意義なものでした。 そして、ミャンマー野球を大きく前進させた大きな原動力となったには、2005年の8月から行った2ヶ月の日本合宿であると思います。この2ヶ月間の合宿を成功に導いて頂いた多くのご支援者の方々に改めて御礼申し上げます。
選手10人、スタッフ4人、
また、ミャンマーへの帰国後、11月マニラにて行われる東南アジア大会に向け調整をするのにも、雨期明けのグランド整備と練習の両立は、本当に大変でした。人の背ぐらいある雑草を選手全員で刈りなど、これ程の整備は日本ではした事のない経験でした。結局、大会までの期間中 外野手の練習がまともに出来なく正直不安でした。
結果的に、フィリピンには、後半反撃され負けましたが、9回まで善戦したことはとても思い出に残る試合になりました。3位決定戦では、インドネシア相手に予選同様1点差負け
しかし私自身の中では、これで、自分の役目が終わったという気持ちも大きくありました。当初、大会終了後 日本帰国という計画でした。2006年4月のアジアカップまで残らないかというお誘いも受けていました。約1ヶ月近く悩んだ末、最終的に残る事を決意したことは、「今しか出来ない事をしよう」そして大会のリベンジだと気持ちを新たに臨む決意をしました。年が明け、主力組みの病気や諸事情で練習に参加できない状況が続き、その都度、選手の様子を見に家に行ったこともありました。ミャンマー連盟等の事情も重なり、最終的に参加を断念せざるを得ませんでしたが、一年半の滞在期間中で、年明けから帰国までが一番忙しかったかもしれません。新規参入チームの練習を手伝い、また、夏休みで来ている子供達を指導し、朝7時から夕方5時までグランドにいる状況が約2ヶ月続きました。体力的にも、かなり厳しい状況だったと今振り返ると思います。 一年半に亘る私の活動を支えて頂いた皆様に、この場をお借りして、改めて心より御礼申し上げます。
以上
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